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その時私は何を思ったか

私は、学会の委員の内部に「増田聡にも問題があった」という認識があり、今後の対策が講じられていくのであろうと考えていたので、その意味でも、私は吉田寛の今朝のツイートに呆れている。

もし、学会が前向きにものを考えようとしているのであれば黙っていようと思ったが、昨年9月末、発表が目前に迫っているのに担当者から何の連絡もない不安定な状態で、私が考えたのは、

「ちゃんとした発表ができる責任がもてず、なおかつ、私の側に責任があるとは思われないので、責任の所在を明らかにするために、今すぐ学会を退会しよう。そして、増田聡には、たったいま学会を退会したので、私が発表する権利は消滅しました。したがって、予定された私の発表は行われません、と通告しよう」

ということだった。(事前に通告するか、何も言わずに当日の会場へ行かずに、あとから何か問い合わせがあったときにこう答えるか、あるいは、ウェブで発表するか、と、具体的な手順についても真剣に検討しつつあった。)

蓋を開ければ、単に、増田が連絡や照会をちゃんとやらなかった、サボっていただけだとわかったので、今となっては、そんなことをしなくてよかった、と言えるが、それは結果論であり、この学会の運営のルーズさが発表者をどこまで追い込むか、問題が解決されずに残っていることに変わりはない。

吉田寛さんの脳内言語は、日本音楽学会と白石知雄が絡むと、突如、党派的に歪むようだ。

不透明感

日本音楽学会西日本支部で昨年発表にエントリーして、その打ち合わせが進まないときに感じたのは、何よりも、学会の「不透明感」である。

だから、委員のひとりである吉田寛さんが、組織の運営側の人間としてのコメントを出すより前に、学会運営についての具体的な疑問点について発言する者への不快感を表明するに至ったことは、吉田寛さん個人に対して呆れると同時に、組織の「膿を出す」きっかけとしては、格好の糸口になり得るのではないかと、私は考えている。

「怨恨」と「ゲンナリ」の分析

ひとつ前の記事に書いたように、私は「怨恨」で文章を書く人間ではないし、今回の一連の出来事で誰かが「ゲンナリ」したとしても、その責めを負う気はない。

だが、吉田寛さんの側には、もしかすると「怨恨」と「ゲンナリ」の語が半ば反射的に思い浮かぶ事情があったのかもしれないと思い当たったので、念のために、そのことについて書いておく。

ひとつは、私は誰かに「怨恨」を抱いてはいないが、私は彼の著作や彼が推奨する研究書に批判的なので、ひょっとすると、吉田さんの側が私に何らかの「怨恨」を抱いているかもしれない、ということである。だが、私は彼の著作にどういう疑問を抱き、彼が推奨する研究書のどういうところに批判的なのか、既に別途書いているので、それを理由に「逆恨み」されても、困るなあ、としか言いようがない。

次に「ゲンナリ」だが、先日配信された日本音楽学会西日本支部の支部通信をみると、支部通信担当委員は、神戸大の太田先生と立命館の吉田先生であるらしい。支部通信は、早めにできていたのに事情で発行が遅れて、なおかつ、表記に誤りがあったとのことで、再発行されるに至った。もしかすると、吉田先生は、西日本支部の運営にゲンナリして、その思いが、別の文脈ににじんでしまったのではないか。

(なお、私は先日の発表レジュメを太田先生に送ったが、期日には間に合わせたし、私の発表に関する表記の訂正は、発表前に言ってある。私は、支部通信発行をめぐる間際のドタバタとは無関係と考えてよさそうだ。)

西日本支部に関して、私が最近知って一番驚いたのは、会員数が西日本支部だけで数百人規模らしい、ということだ。会員の大半は大学の教員(元職を含む)か院生(元職を含む)のはずで、西日本の諸大学の講座構成を考えれば、近畿圏にあるような「キラキラ系」であったり「先端的」であったりするテーマを追っている人の割合は、それほど多くないと推察される。(時間があれば、名簿をもとに統計を取ればいいことだが、さすがにそれは個人的な関心でやるには大変過ぎる。)

委員に選ばれて運営実務を担当する人たちの傾向と、会員の実態がミスマッチなのではないだろうか。

「先端的」であったり「キラキラ」であったりする人は、研究者としてのアイデンティティとはおよそかけ離れた実務を、会員の総意でボランティアで「やらされている」と感じてしまいかねない構造になっている、ということだ。

的外れな推測かもしれないが、誰かが「ゲンナリ」していても不思議ではない。

そのように組織に蓄積する「ゲンナリ」のマグマが何かの拍子にあらぬ方向で暴発するとしたら、それは、もはや、当人が我慢すればいい話ではないと思うので、さっさと変えられることは変えましょう。

「反実技」という病

吉田寛は、当初、この日記に「怨恨」という動機があると推定し、その後、この日記を「粘着行為」という匿名掲示板2ちゃんねる風の言い回しで形容しているが、私と増田聡と吉田寛が知り合ったのは1990年代半ば、まだこのような語彙が大学教員の日常語には登録されていなかった時期である。

渡辺裕が阪大音楽学に助教授として赴任した時期に大学院に進学した増田聡が、渡辺の東大美学への転任を機に、同研究室の同年代院生との関係を築こうとするなかで、吉田寛が阪大の大学院ゼミにゲストとして渡辺裕とともに来阪する機会があり、そこで私は吉田寛を知った。

増田、吉田両氏は知らないだろうが、それ以前の1980年代には、美学会全国大会のときに東大・京大・阪大の美学科有志による非公式の飲み会があった。旧帝大の教員・学生の交流会であり、要するに旧帝大の「学閥」の絆を確かめる集会である。この集会は、旧制高校世代の教授たちの退官とともに1990年代には消滅したようだが、増田やその周囲の院生が東大との交流に熱心なのを見て、私は、「学閥」というのはなくならないし、こういう風に、若い世代に蘇ってしまうのだなあ、と嫌な気がして、近寄らないようにしていた。

(美学研究室が音楽学専攻生を受け入れない京大美学とは疎遠だったので、伝統としての「学閥」の保守ということではなく、同じ教員の旧赴任地と新赴任地の学生の交流という形に「学閥再編」が起きてはいたが。)

もし、私に「怨恨」と誰かが推定したくなる何かがあるとしたら、おそらくそれは、「学閥」意識への愛憎だろう。

旧帝大の大講座を拠点とする「オールド・タイプ」であれ、師匠と弟子の個々のつながりによる疑似家族風の「ニュー・タイプ」(メンター制度の日本版だからグローバルだ、と曖昧に正当化されているのだろうか)であれ、私にはそれは、俗世の仁義以上の何かであるとは思われない。そう簡単に消滅しないだろうが、必要以上にコミットしたくない風習である。

少なくとも、「学問」にその影が過剰に射すことがないように、気をつけたいものだと考えている。

「学閥」が「学問」に影を射しうるとしたら、おそらくそれは、「学閥」が「学風」にリンクするという形になるだろう。

それでは、「阪大」「東大」の周囲に、そういうことが起きているかどうか?

私の知る限りでは、阪大音楽学は開設以来「実技に対する愛憎」がアキレス腱であり続けていたように思う。谷村晃は、「音楽学者も演奏しなければいけない」と様々なことを企画・実践する一方で、「実技の人たちは、こういうことがわからないのです」と、負け犬の遠吠えに聞こえかねないことを、実演家がいない音楽学の授業の場で学生に向けて言ってしまう人だった。

(谷村晃の関学時代の弟子にも阪大時代の弟子にも、こういうアンビバレンスを抱える人がいる。著作で具体的にその症例を確認できるという意味での典型として、岡田暁生がいる。)

阪大音楽学開設時に助教授として赴任してのちに教授になった山口修は、カラオケが上手で、ベラウなどでの調査時には、子供たちから、わらべうたを一緒に遊びながら上手に訊きだしたそうだから、たぶん、器用で勘が良いのだと思う。だが、数週間稽古に通っただけでその楽器についての論文を書いてしまうというように、自身の実技能力を研究に「密輸入」する傾向があり、私には、これはアンビバレンスのあまり健全な解法ではないように思えた。

そして1990年代、渡辺裕の赴任とわずか4年後の東大転出という慌ただしい時代が来て、増田聡と吉田寛が登場するわけだが、

阪大音楽学と東大音楽美学の蜜月、という、増田聡がかなり積極的に「絵を描いた」道筋は、「実技」の切り捨て(合宿などでの「余興・隠し芸」化)という、あまり幸福ではない結果を招いた。


(バレエ研究を希望する学生に、その人がバレエとともに幼少から「お稽古」していたピアノの腕前を合宿で披露させて、先輩たちが「お上手、お上手」と拍手する光景は、そのような教育を受けて育ちうる「階級」とその「実技」を同時に揶揄するパワハラ的な行為に他ならず、実に陰惨であった。ちなみに当該学生は女性であり、拍手して彼女を褒め称える大半は男性であった。)

その後、阪大音楽学には、いずれも大阪教育大学(「音楽実技」の教員養成講座)にいた根岸一美、伊東信宏が赴任して、かつての、高等遊民のダブルバインド風であったり、裏社会への隠蔽風であったり、マッチョな決断・抑圧風であったりした案件が、比較的冷静に処理されるようになった印象を受けるが(根岸、伊東両先生は学者であると同時に音楽評論も手がけているし……)、

増田、吉田両氏のその後の歩み(前者の「消費者・享受者」主義と後者の「観察者」主義)は、今となっては「期間限定」であり、他がありえない唯一の選択肢ではなかったはずの決断による宿題・積み残しを、まだ清算できていないところがあるのではないか、と私には見える。

(たとえば、吉田寛の「まあどの業界にもこういう手合いはいるのかもしれませんが」という話法は、自身が体験的・経験的に知り得ていることを含めて、すべてをマッチョに捻り切りたい性急な身振りだろう。そして私の言語活動を「芸風」と形容するのは、他者の実践を「余興・隠し芸」の側に押し込めてしまいたい欲動であると解釈することが、ひょっとすると可能かもしれない。)

むしろ、起きて当然のアンビバレンスは、清算するのではなく、「実技」系(実作者・製作者系)との協力に発想を切り替えたほうが、話が前向きになって、より多くの人が幸福になると思う。

もし、両氏が、このことにいつまでも固執する白石知雄に「ゲンナリする」というのであれば、それは私にとって、むしろ望むところなので、彼らの「ゲンナリ」がそう簡単が消えないように、そして、「粘着」という事後的な解釈でウヤムヤにならないように、今後も精進したいと思う。

「観察」の来し方と行く末

吉田寛先生は、この日記について「怨恨か」という解釈を披露しているが、再三書いているように、この日記は、http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20160315 から派生している。「怨恨」という煽りは適切ではない。

「常軌を逸している」という感想が生まれうるとは思うが、誰の何が常軌を逸しているのか、私と吉田先生には、見解の相違があるようだ。

そしておそらく以上2点とは切り離して議論できると思われることとして、私は、特定の出来事・人物についての議論や論評を、実名の書き手が対象の固有名を明記して書くことそれ自体が非難の対象になり得るとは考えません。

実名を明かして議論を進めた場合、発議者の意図とは無関係に、それに対する(今回のような)反応が積み重なることで、誰が誰を「かばう」か、といった党派形成(吉田先生の言う「信用」は、むしろ、この場合はそれだと思う)をときには加速すると承知しています。

しかし、増田聡さんが「パクリ」論に関する最新のコメントで示唆しているのは、効果とリアクションによる党派形成(好き嫌い・ファンとアンチなど)というようなものは、議論の抑制ではなく、むしろ加速によってこそ無効化するであろう、ということではないでしょうか。

私は、学会委員としての増田聡さんを今後も引き続き信用するつもりは一切ありませんが、彼のコメントとして公開された発言は、「誰が言ったかはどうでもいい。発言の内容だけで判断」して、賛同します。

「無効化」に向けて、党派形成の旗を乱立させていただければと思います。

「観察」の限界

「パクリという批判は、商業的空間の中では、なんらかの対応を必要とし、まじめに受け取られることになるが 、むしろ、多数の人々が不断に『パクリ』を発見し、騒ぎ立てることがありふれたことになっていくことで、パクリという倫理的非難自体の効果はどんどん低下していくのではないでしょうか」

[……]

 そういえば、冒頭でご紹介した平さん。騒ぎの後、CD回収、購入者への返金といった事態に見舞われたものの、その後、知名度は飛躍的に向上。問題視された作品は、ネットオークションで高値で取引され、過去のヒット曲についても、売れ筋ランキングに上位に食い込むなど、思わぬ反響が起こりました。

 盗みだと非難していたはずが、実はまんまと乗せられていた--。そうしたケースが日常化すれば、「パクリ」の非難効果は弱まっていくのかもしれません。

「パクリ音楽」の何が悪い? 寛容だった昭和歌謡、ミスチル酷似で売れた人 「断罪」文化の行き先は (withnews) - Yahoo!ニュース

この文章は公開されているので、出典を明記してリンクする。

享受者の側の反応の推移として考えると、当初の「倫理的非難」が、商売のカラクリ(引用の最後に書かれている「まんまと乗せられていた」という認識)や商品製作の実態(引用文でこれ以前に詳述されている「先例の再利用」は創作に不可欠であること)を悟ることで次第に沈静化するであろうし、現にそうなりつつある、というのはよくわかる。

では、「商業的空間の中」の「なんらかの対応」のほうは、どうなっているのだろう。

「言いがかる」芸風

リアクション芸で生きる人は、誰かのアクションがないとなすすべがない。しかしこれでは商売あがったりなので、誰かが私にアクションを仕掛けてきた、と、難癖をつける。

言いがかりは、増田聡さんの昔からの芸風ですが、落ち着いて対処すれば、どうということはありません。彼と直接何かのやりとりをする必要がある人は、是非覚えておかれると便利かと思います。

得意不得意

増田聡さんは、誰かの口癖を見つけ出すのが比較的得意で、そこを手がかりにして切り返す「技」をしばしば使うが、残念ながら、その口癖が思考や文体のなかでどのような役割を果たしているのか、分析するのは不得意なようだ。

「口癖の検出」という返し技は、他人の癖をなぞる物真似芸をディベートに応用しているのだろうが、瞬間芸(←昭和から平成の転換期の「お笑い」でそのように形容される芸風が一世を風靡したのです、若い人はもう知らないと思うが)の域を出ず、口論の技としては、どちらかというと、安易で浅い。(←「べき」も「私は……と考える」話法も用いない断定)

「べき」の範囲指定について

いろんな物事全てに「私はこうあるべきと考える」という態度を必ず示さなければならない強迫観念に囚われた人というのがたまにおる。

それは困った人だし、私にそういうところがあったとしたら反省しよう、と珍しく増田さんの発言を自分に振り向けてみた。

私は、この日記で、何度か「べき」を使っているが、この日記は、増田聡というユニークな人物を把握するために必要な道具立てを揃える、という特定の目的があり、目的遂行のために必要な場面で、「私はこうあるべきと考える」という話法を使っているに過ぎないようだ。

「いろんな事物全てに」ついて、「こうあるべき」を表明しているわけではなく、彼が設定する条件には該当しないので、気にすることはなさそうだ。

ひと安心である。

増田聡さんの立場から見ると、この日記は、「オレに関わるすべての事柄について「こうあるべき」を立てて、オレの周囲を「こうあるべき」で包囲しようとしている」という風に見えるかもしれないが、私は、この日記の外に、それほどたくさん「こうあるべき」を立てているわけではない。

それに、この日記は、「こうあるべき」だけを書いているわけでもないので、そういう意味で、私は、増田聡さんに対して、「むしろある種の強迫観念にとらわれているのは、あなたのほうではありませんか」と、切り返すことができる立場にいるかもしれない。

もちろん、私は、誰かから(あるいは「何か」から)「そのようにすべきである」と命じられてはいないので、何もしないけどね。

(以上、増田さんの文章に対するコメントを、「私はこうあるべきと考える」という文言を使わずにまとめることができるかなあ、と思ってやってみたら、特に何の不自由もなく、文章がまとまったので、これでよしとしたい。

あと、ついでにいっておくと、「私はこうあるべきと考える」という文言を私が使うときには、「他人がどうであろうと、私はそう考える」ということであって、「あなたも、私と同じように考えなさい」と他人に何かを命じる含意はない。だからこそ、「べき」を、「私は……と考える」で囲むのであって、もし、わたしにもあなたにも妥当する「なすべし(当為)」を立てようとするのであれば、「私は……と考える」話法を使いません。普通そうですよね。)

結論

数日集中して観察したわけだが、結局のところ、

日本の大学教員というのは、あれくらいの年齢まで専任を務めると、もう、よほどのことがなければクビにはならない(かつて増田聡が鳴門教育大学の助手を周囲が驚く形で止めたのとは違って)

というのが、現在の彼の拠り所なのだと思う。

ツイッターでも学会でも、同じくらいツッコミ所の多いことしか言えなくなってしまっているので、今はどうにかなっていても、早晩、学外に出て行く機会は減るだろう。

大学教員は、クビにならないので、最後にはほとんど「飼い殺し」状態になって定年を迎える人がいる。そういう人たちのなかに入れば、相対的に「弁が立つ」ので、学内で何かの居場所を見つけるだろうが、人の足を踏んでも誤らないタイプなので、学外で彼と関わらなければならない者は災難である。近づかないのが安全だろう。

まともに相手にされなくなればなるほど、何を言っても大丈夫と高をくくることが容易になるので、態度はますますデカくなっていくのだろうが、それは、放置すればいいことであり、逆に言えば、きっちり放置するのが肝要なので、そこは、仕事で彼と関わらなければならない人たちがちゃんと対処してください。

以上

自転車文化論

増田聡が職場である大阪市立大学について語る定番の話題のひとつに「自転車の学内乗り入れに対する大学側の一方的な禁止措置に抗議する」というのがあるわけだが、

これは、以前一度書いて消したように、

  • そもそも自転車文化は19世紀ブルジョワの楽しみに由来しており、20世紀のモータリゼーションとの類推で、大衆の生活向上のシンボルとみなすのは錯誤である可能性がある
  • 21世紀の都市設計には、ショッピングモール型のジェントリフィケーションに代表されるように、人が徒歩で移動する空間を確保する傾向が認められる(そういう空間では、自転車は自動車と同じく乗り入れが禁止される危険な乗り物と見なされつつあるし、自転車に何らかの免許取得が義務づけられる可能性が近い将来ないとはいえない、私もそれは致し方ないと思う)
  • 北摂・阪神間のような高低差のある郊外住宅地における自転車と、河内平野の自転車では、意味が違う可能性がある

こうした論点が複合している可能性があり、「自由を求める学生」vs「強権的な体制・執行部」という全共闘風の構図に収めて扇動する増田聡の戦術は、自転車文化の関係者が互いに向き合って、前向きな問題解決を測る前途を開くとは思われない。

五代ではない、では誰なのか?

大阪市立大学の設置は1949年だが、1980年を創立100年と見なすのは、明治13年の大阪商業講習所開設を起点と見なしているようだ。(この時点で起源が「創られている」わけだから、なんだかなあ、という話だが。)

開設における五代友厚の関与が限定的なんだとしたら、他に誰が関与したのか、そっちを顕彰すればいいだけのことじゃないの。加藤、門田、桐原などなど、名前が色々出てくるようだが、だったら、群像の記念碑ということで、誰かが対案を出せばいいだけなのでは?

「伝統の発明」論は、もう前近代の慣習 convention をそのまま生かすのでは立ちゆかなくなっているなあ、という歴史認識を言っているだけのことで、「発明された伝統」はすべて破棄すべし、とか、そもそも、何も発明しちゃダメ、とか、そんな子供っぽいことを言っているわけではないはずだ。まして、現執行部に汚名を着せて引きずり下ろす学内政治、とか、プロパガンダとしてイケてないよね。

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ぶれない軸

内田樹は、自分が変わった(おじさんから左へ転向した)のではなく、世間が右へシフトしたのだ、と言いたげだが、では、そのぶれない軸は何かというと、サブカルチャーとオカルト(70年代風の)だと思う。

戦争怪談

「あなたには見えないんですか。ほら、そこにあるじゃないですか」

「え、どこ、恐い、キャー」

戦争を怪談に仕立てるのは止めて欲しい。戦争が起きなくても、あなたの知らない間に人は死にます。その恐怖は戦争特有ではありません。(=内田樹風霊感商法の実例と対策)