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類型の反復

「彼らは行儀のいい俗物である」とか、「関西に来るのは概してスペックが落ちる」とか、という経験則があって、だから東大生にすがっているだけじゃダメなんだよね、と繰り返し思わされるわけだが、メッキがはげてそういうことがわかってくるにはしばらく時…

誤作動と機械運用のリテラシー

20年前に作られたプログラムが誤作動もしくは現在では不便な動作をしてしまうのだが、修正しようにもバイナリーがあるだけでソースコードが失われており、既に製造中止で部品を交換することもできない。そういうことは、まあ普通に起きる。例えば、20年前199…

ご意見伺い

こちらか会いに行かなくても、向こうから会いに来る、というケースがないとはいえない。現場担当者クラスの誰かが何らかのルートで、こいつは何だ、と調べたことくらいはあったかもしれない。そして、「これは会わなくてもいいな」と判断されて今日に至る、…

続・ロングシート問題

阪急電車では、ロングシートを「3+2+3」人がけに仕切った車両が導入されつつあるようだ(特急も各停も)。こうなると、ロングシートに「詰めれば9人座れるのに7人しか座らない」問題に沿線の階級格差を見いだす流言が消滅してしまいそうなわけだが、…

「青春」という方法

「今までの自分をリセットします」という趣旨のコメントをしばらくタイムラインの冒頭に掲げていたので、受賞と渡英を機に、今までへその緒のようにくっついていた音楽美学の看板をリセットしてゼロカウントにして、これからは感性学とゲーム研究で行きます…

「無言の呪い」

「席を詰めてもらえませんか?」と一声かける前にツイートで呪いの言葉を発信するのは、コンビニの冷蔵庫に入り込むアルバイト店員(すでに根絶されたと伝えられる)に似ている。これがあくまで類似の指摘に過ぎず、それ以上の何かの意味や効果を生成する意…

ロングシート問題

そもそも論で言えば、電車の9人がけのロングシートに7人が隙間を空けて座っていて、こっちは疲れてヘトヘトなので詰めて欲しい、と思ったら、「詰めてもらえませんか」と声をかければいいのに、と思う。それを黙殺されたときには、「この路線の利用者は有…

「その話はあとにしてくれ」

明日までにこの書類を仕上げなければいけない、と徹夜で事務仕事をしている大学教員のパソコンに、Microsoft Officeのソフトウェアが、「1件のアップデートがあります。今すぐ更新しますか? はい/いいえ」みたいなダイアログをポンと出したとしても、たぶ…

「京都ぎらい」

元暦期におきた出来事 元暦2年(寿永4年)2月19日 屋島の戦い 元暦2年3月24日 壇ノ浦の戦い。平家が滅亡 元暦2年7月9日 元暦大地震は京都盆地北東部を震源に、マグチュード7.9と推定されている[1]。 脚注 [1] 水野章二「中世の災害」/ 北原糸子編著『日本災…

不正確な引用

このブログ記事は、どこまでが「東京新聞」の引用で、どこからがこのブログの書き手の地の文なのか、判然としない。このような不確かな情報源をもとに、大学教員が脊髄反射でコメントを出すのだから、ツイッターとは嘆かわしい場所である。http://blog.goo.n…

無駄と勤勉

私には、「無駄」という語を彼がどういう意味で使おうとしているのかわからない。また、「ある事柄が無駄であるか無駄ではないか、ということは事後的にしか判定できないので、事前に吟味するのは無駄である」という論法が、無為自然の道教の亜流なのか、ム…

【論説】嘘

『嘘・未来形 デジタル時代の嘘のゆくえ』を嚆矢として、同じ著者による『その嘘の〈作者〉とは誰か』『嘘つきをつくる』、あるいは大著『“嘘の国ニッポン”の系譜学』三部作(『“嘘の国ニッポン”神話とその起源』『エイプリルフールの発見と〈ニッポン〉の変…

補遺:リクエスト

セカンドアルバム『現代社会学』では、「ララバイ承認欲求」を是非。

補遺:シンガーソングライター

学生時代、合宿の「余興」としてだったと思うが、増田聡が(たぶん自作の)歌をアコギで弾き語りしたことがある。詩もメロディーも覚えていないが、一同しゅんとして聴かざるを得ないリリカルな曲だった。軽音楽部にいたのだから、それくらいはやるだろう、…

補遺:悪の編集術

「やりたくてやってるんじゃないんですよ、お願いしますよ」という風に頭をかきながら仕事をする、という昭和後期の雇われ管理職の定型がある。この場合、「やりたくてやってるんじゃないんですよ」云々は、周囲との摩擦を避けるための言葉の潤滑油であり、…

補遺:言論スタイルの同一性

「人を育てることに投資すべきである」というそれ自体としてはもっともなことを、増田聡は、いかにも躾の悪そうなスタイルで語ろうとする。逆説やアイロニーを仕込んでいるのかというと、そうではない。単に、「オレはこのスタイルで行く」と決めて、それを…

補遺

ヒヨコは最初に見たものを親鳥だと思ってついていく、と言われるが、大学で研究室に配属されて出会った山口修や渡辺裕を「これが大学教授というものか!」と思い、彼らを大学教授のプロトタイプだという風に今も考えているとしたら、それは、暫定・偶然を普…

再告知

「横槍」は抜けたとみなして、今度こそ日記はここに移る。http://tsiraisi.hatenablog.com/

預言者と扇動者

「倦怠と憤り」、「イライラとノリノリ」という風に、それぞれが両極端の間を往復してしまうのは、預言と扇動、という運動体によくある組み合わせと似てしまっているからだと思う。あなたたちの周囲にある集団は、学会にせよ学校にせよネット村にせよ、運動…

愚連隊セカイ系

この人(たち)は、一生こうやって、自分の気に入らない人間に罵詈雑言を浴びせながら生きていくのでしょう。年長者は敵、というのがデフォルトなので、関わり合いにならないことだ。時期が来れば、年少者から(も)異論が出るだろう。日本の人口の推移を考…

思想信条の問題

実害を検討するのは後回しにして、思想の問題として考えてみる。一般的な理解としては、ポストモダンはニューレフトだ。でも、近代、とりわけデモクラシーへの倦怠から近代の超克を構想する、ということになると、言葉遣いは難解であったり、左翼リベラル風…

……

しかし改めて考えてみると、「一時の気の迷いで、一生を棒に振ることがないよう、切に願います。」というのは、役員による一般会員への脅迫(パワハラ)に該当してしまうのではないだろうか。当方は、なぜここにこういう文章を綴るのか、理由等をそのつど説…

言葉の牢獄

「べったり貼り付いたものを丁寧に剥がす行為は、レッテルを幾重にも貼り続ける粘着だと、しばしば誤認されます。まさしくこれこそが、過度の依存の兆候なのです」(スラヴォイ・ジジェク)

敷衍と編集:「粘着行為」というレッテルの背景

ひとつの事柄について、こうも言えるし、ああも言える、とパラフレーズしながら何事かを浮かび上がらせる、という論述の手法がある。テクストの精読を通じて教えられることが多いので「文系」固有の職人芸のように思われているところがありそうだが、数学者…

ゼロ年代の転機

日本音楽学会の全国大会で、伊東信宏、沼野雄司を後見人にして、吉田寛、増田聡が若手の本音をぶちまけるシンポジウムがかつてあった。あそこで何かが決壊して、そのハンドリングを間違えた結果が現在なのだろうと総括することができるかもしれない。今年で1…

「気づき」の限界

「理性もひとつのドグマである」。推論を積み重ねることで、理性という概念をそのように配置することが可能ではあるだろうと思うわけだが、しかし、そのような構図に「気づく」こと、そして、怪物に鏡でおのれの姿を見せつけるかのように、既に稼働している…

切り捨て御免?

先の一連の吉田寛氏の発言のなかで、最後の捨て台詞「一時の気の迷いで、一生を棒に振ることがないよう、切に願います。」が、私には何が言いたいのか、まったく理解できなかったのだが、あるいは彼は、「切り捨て御免」のつもりだったのか?「一国一城の主…

城と宿

「一国一城の主」という言葉があるが、さしずめ、大学とは学問の城、なのかもしれぬ。しかし、部外者にとっては、つかのまをそこで過ごす広間、せいぜい、宿に過ぎない。学会の世話役をしかるべき大学の専任教員が務めるのは、「一国一城の主」であると目さ…

映像環境と翻訳と「石頭」

Appleは音楽であれ映像であれ、CDやDVDのようなディスクの読み書きに頼らない環境にユーザを誘導する方針が明らかなわけだが、世間にはCDやDVDや、Appleが純正で頑として利用を補償しないブルーレイというものが現にある。しかもそれじゃあ、出力方法(ディ…

イベント駆動の限界

吉田寛から横槍が入ったことで、むしろ、はっきりしたことがあると思うので、再度まとめておく。既に書いたように、増田聡がこの程度の失態で明示的な責任を取らされることは、おそらくないだろうと思う。しかしそれは、「問題があれば、そのときに適宜対処…

その時私は何を思ったか

私は、学会の委員の内部に「増田聡にも問題があった」という認識があり、今後の対策が講じられていくのであろうと考えていたので、その意味でも、私は吉田寛の今朝のツイートに呆れている。もし、学会が前向きにものを考えようとしているのであれば黙ってい…

不透明感

日本音楽学会西日本支部で昨年発表にエントリーして、その打ち合わせが進まないときに感じたのは、何よりも、学会の「不透明感」である。だから、委員のひとりである吉田寛さんが、組織の運営側の人間としてのコメントを出すより前に、学会運営についての具…

「怨恨」と「ゲンナリ」の分析

ひとつ前の記事に書いたように、私は「怨恨」で文章を書く人間ではないし、今回の一連の出来事で誰かが「ゲンナリ」したとしても、その責めを負う気はない。だが、吉田寛さんの側には、もしかすると「怨恨」と「ゲンナリ」の語が半ば反射的に思い浮かぶ事情…

「反実技」という病

吉田寛は、当初、この日記に「怨恨」という動機があると推定し、その後、この日記を「粘着行為」という匿名掲示板2ちゃんねる風の言い回しで形容しているが、私と増田聡と吉田寛が知り合ったのは1990年代半ば、まだこのような語彙が大学教員の日常語には登…

「観察」の来し方と行く末

吉田寛先生は、この日記について「怨恨か」という解釈を披露しているが、再三書いているように、この日記は、http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20160315 から派生している。「怨恨」という煽りは適切ではない。「常軌を逸している」という感想が生まれうると…

「観察」の限界

「パクリという批判は、商業的空間の中では、なんらかの対応を必要とし、まじめに受け取られることになるが 、むしろ、多数の人々が不断に『パクリ』を発見し、騒ぎ立てることがありふれたことになっていくことで、パクリという倫理的非難自体の効果はどんど…

「言いがかる」芸風

リアクション芸で生きる人は、誰かのアクションがないとなすすべがない。しかしこれでは商売あがったりなので、誰かが私にアクションを仕掛けてきた、と、難癖をつける。言いがかりは、増田聡さんの昔からの芸風ですが、落ち着いて対処すれば、どうというこ…

得意不得意

増田聡さんは、誰かの口癖を見つけ出すのが比較的得意で、そこを手がかりにして切り返す「技」をしばしば使うが、残念ながら、その口癖が思考や文体のなかでどのような役割を果たしているのか、分析するのは不得意なようだ。「口癖の検出」という返し技は、…

「べき」の範囲指定について

いろんな物事全てに「私はこうあるべきと考える」という態度を必ず示さなければならない強迫観念に囚われた人というのがたまにおる。 それは困った人だし、私にそういうところがあったとしたら反省しよう、と珍しく増田さんの発言を自分に振り向けてみた。私…

日記の移転

http://tsiraisi.hatenablog.com/

結論

数日集中して観察したわけだが、結局のところ、日本の大学教員というのは、あれくらいの年齢まで専任を務めると、もう、よほどのことがなければクビにはならない(かつて増田聡が鳴門教育大学の助手を周囲が驚く形で止めたのとは違って)というのが、現在の…

自転車文化論

増田聡が職場である大阪市立大学について語る定番の話題のひとつに「自転車の学内乗り入れに対する大学側の一方的な禁止措置に抗議する」というのがあるわけだが、これは、以前一度書いて消したように、 そもそも自転車文化は19世紀ブルジョワの楽しみに由来…

五代ではない、では誰なのか?

大阪市立大学の設置は1949年だが、1980年を創立100年と見なすのは、明治13年の大阪商業講習所開設を起点と見なしているようだ。(この時点で起源が「創られている」わけだから、なんだかなあ、という話だが。)開設における五代友厚の関与が限定的なんだとし…

ぶれない軸

内田樹は、自分が変わった(おじさんから左へ転向した)のではなく、世間が右へシフトしたのだ、と言いたげだが、では、そのぶれない軸は何かというと、サブカルチャーとオカルト(70年代風の)だと思う。

戦争怪談

「あなたには見えないんですか。ほら、そこにあるじゃないですか」「え、どこ、恐い、キャー」戦争を怪談に仕立てるのは止めて欲しい。戦争が起きなくても、あなたの知らない間に人は死にます。その恐怖は戦争特有ではありません。(=内田樹風霊感商法の実…

悪と罪の定義

問題発覚直後の、まだ、ほとぼりすら覚めていない段階で、ケロリとそのことを忘却してしまう振る舞いは、「無反省な居直り」=「故意の悪事」に分類されるので、意図しない過失より罪が重い。当人の脳天気と反比例して、弁護可能な余地が狭まり、信用失墜の…

認識と行為

学術雑誌の投稿論文の査読を依頼される、というような場合には、「誰が言ったかはどうでもいい。発言の内容だけで判断すべきだ」ということになるのだろうが、その学会の全国大会の案内を見ながら、学会に行くかどうか、どのセッションに顔を出すか、予定を…

revolutio という国際バズワード

「コペルニクス的転回」が「科学革命」の引き金を引いたかのような語り方があるけれど、Copernican revolution はドイツ語では Kopernikanische Wende で、革命 Revolution ではなく転換 Wende と呼ばれているようだし、カントの純粋理性批判には、「思考法…

「儀礼的」とは?

「挙証という行為はローマ的、西欧的な儀礼である」と言うときの「儀礼」は、どういう意味合いで言われているのか。おそらく、挙証の文化史のようなものを検証するときには、しかるべき歴史的・人類学的概念としての「儀礼」に照らして、それが論じられるこ…

Virtualをのぞき見る

足を踏まれて、「痛いなあ、誰だよ」と見上げると、その男はスマホに夢中で、他人の足を踏んだことにすら気付いていない。ということがあったとしたら、この男はいったい何に夢中になっているのか、「スマホの中身」に関心を抱いても、さほど不自然ではある…