2016-03-21から1日間の記事一覧

イベント駆動の限界

吉田寛から横槍が入ったことで、むしろ、はっきりしたことがあると思うので、再度まとめておく。既に書いたように、増田聡がこの程度の失態で明示的な責任を取らされることは、おそらくないだろうと思う。しかしそれは、「問題があれば、そのときに適宜対処…

その時私は何を思ったか

私は、学会の委員の内部に「増田聡にも問題があった」という認識があり、今後の対策が講じられていくのであろうと考えていたので、その意味でも、私は吉田寛の今朝のツイートに呆れている。もし、学会が前向きにものを考えようとしているのであれば黙ってい…

不透明感

日本音楽学会西日本支部で昨年発表にエントリーして、その打ち合わせが進まないときに感じたのは、何よりも、学会の「不透明感」である。だから、委員のひとりである吉田寛さんが、組織の運営側の人間としてのコメントを出すより前に、学会運営についての具…

「怨恨」と「ゲンナリ」の分析

ひとつ前の記事に書いたように、私は「怨恨」で文章を書く人間ではないし、今回の一連の出来事で誰かが「ゲンナリ」したとしても、その責めを負う気はない。だが、吉田寛さんの側には、もしかすると「怨恨」と「ゲンナリ」の語が半ば反射的に思い浮かぶ事情…

「反実技」という病

吉田寛は、当初、この日記に「怨恨」という動機があると推定し、その後、この日記を「粘着行為」という匿名掲示板2ちゃんねる風の言い回しで形容しているが、私と増田聡と吉田寛が知り合ったのは1990年代半ば、まだこのような語彙が大学教員の日常語には登…

「観察」の来し方と行く末

吉田寛先生は、この日記について「怨恨か」という解釈を披露しているが、再三書いているように、この日記は、http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20160315 から派生している。「怨恨」という煽りは適切ではない。「常軌を逸している」という感想が生まれうると…

「観察」の限界

「パクリという批判は、商業的空間の中では、なんらかの対応を必要とし、まじめに受け取られることになるが 、むしろ、多数の人々が不断に『パクリ』を発見し、騒ぎ立てることがありふれたことになっていくことで、パクリという倫理的非難自体の効果はどんど…

「言いがかる」芸風

リアクション芸で生きる人は、誰かのアクションがないとなすすべがない。しかしこれでは商売あがったりなので、誰かが私にアクションを仕掛けてきた、と、難癖をつける。言いがかりは、増田聡さんの昔からの芸風ですが、落ち着いて対処すれば、どうというこ…

得意不得意

増田聡さんは、誰かの口癖を見つけ出すのが比較的得意で、そこを手がかりにして切り返す「技」をしばしば使うが、残念ながら、その口癖が思考や文体のなかでどのような役割を果たしているのか、分析するのは不得意なようだ。「口癖の検出」という返し技は、…

「べき」の範囲指定について

いろんな物事全てに「私はこうあるべきと考える」という態度を必ず示さなければならない強迫観念に囚われた人というのがたまにおる。 それは困った人だし、私にそういうところがあったとしたら反省しよう、と珍しく増田さんの発言を自分に振り向けてみた。私…