見込み違いへの対応

先端的な研究は、たぶんこれでいけるだろう、という「見込み」でスタートするしかないので、どうしたって「見込み違い」が発生する。

自然科学は、「見込み違い」だったときには撤退して、次のテーマにチャレンジして、「歩留まり率」で勝負するように、色々と環境を整備している印象を受けるが、たぶん、それでも、ときには大量の「見込み違い」が出て、シマッタ、これは誰かが責任を取るしかない、ということがあるんだろうと思う。

社会科学でも歴史学でも、事情は似たようなものだと思う。

いわゆる「人文学」は、ニューアカ以後、周りから、それは無理だ、って言われ続けているのに一方向へ突進して、案の定、「見込み違い」が大量発生して、だから、てこ入れ、という、それだけのことなんじゃないだろうか。(=さばけた説明)