「儀礼的」とは?

「挙証という行為はローマ的、西欧的な儀礼である」

と言うときの「儀礼」は、どういう意味合いで言われているのか。

おそらく、挙証の文化史のようなものを検証するときには、しかるべき歴史的・人類学的概念としての「儀礼」に照らして、それが論じられることになるだろうと思うのだが、

そのような考察結果が「ゆえに挙証は一種の儀礼なのです」とアウトプットされて、一人歩きをはじめたときには、「儀礼的=形骸化したお約束」というコノテーションを帯びることがあらかじめ予想される。

研究結果は、研究者の手を離れて、情報空間で予期しない「誤読」や「誤配」を生みうる。それはいいのだが、どうも、千葉雅也がこういうことを言うと、発信者が免責された状態で「挙証なんてお約束ですよ」という言説が流通するであろうことを予め見越して、(つまり先を予想したうえで)こういうことを言っているような気がしてならない。

ネタの投下、受け狙いの浅ましさが臭う。

「利己的遺伝子」等々がバズワード化して広まった事例を踏まえて、柳の下の養殖どじょうの量産体制、みたいのが成功するとは、私には思えない。