認識と行為

学術雑誌の投稿論文の査読を依頼される、というような場合には、

「誰が言ったかはどうでもいい。発言の内容だけで判断すべきだ」

ということになるのだろうが、その学会の全国大会の案内を見ながら、学会に行くかどうか、どのセッションに顔を出すか、予定を組むときには、

「あいつが言ってることは嘘ばかりだから信用できない」→この学会(セッション)に行くのは止めよう、と思う。

(ツイートを見て、「もうこいつをフォローするのは止めよう」とか「ミュートしちゃおう」と思う、というのでもいいが。)

盾と矛のセット販売は商行為としていかにもありそうだが、同一人物の査読レポートと学会の出欠葉書を照合するのは無意味だし、そんなところに consistency を誰が要請するのか。

屁理屈として幼稚だと思うが、劣化は何に起因するのか。