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「観察」の限界

「パクリという批判は、商業的空間の中では、なんらかの対応を必要とし、まじめに受け取られることになるが 、むしろ、多数の人々が不断に『パクリ』を発見し、騒ぎ立てることがありふれたことになっていくことで、パクリという倫理的非難自体の効果はどんどん低下していくのではないでしょうか」

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 そういえば、冒頭でご紹介した平さん。騒ぎの後、CD回収、購入者への返金といった事態に見舞われたものの、その後、知名度は飛躍的に向上。問題視された作品は、ネットオークションで高値で取引され、過去のヒット曲についても、売れ筋ランキングに上位に食い込むなど、思わぬ反響が起こりました。

 盗みだと非難していたはずが、実はまんまと乗せられていた--。そうしたケースが日常化すれば、「パクリ」の非難効果は弱まっていくのかもしれません。

「パクリ音楽」の何が悪い? 寛容だった昭和歌謡、ミスチル酷似で売れた人 「断罪」文化の行き先は (withnews) - Yahoo!ニュース

この文章は公開されているので、出典を明記してリンクする。

享受者の側の反応の推移として考えると、当初の「倫理的非難」が、商売のカラクリ(引用の最後に書かれている「まんまと乗せられていた」という認識)や商品製作の実態(引用文でこれ以前に詳述されている「先例の再利用」は創作に不可欠であること)を悟ることで次第に沈静化するであろうし、現にそうなりつつある、というのはよくわかる。

では、「商業的空間の中」の「なんらかの対応」のほうは、どうなっているのだろう。