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「観察」の来し方と行く末

吉田寛先生は、この日記について「怨恨か」という解釈を披露しているが、再三書いているように、この日記は、http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20160315 から派生している。「怨恨」という煽りは適切ではない。

「常軌を逸している」という感想が生まれうるとは思うが、誰の何が常軌を逸しているのか、私と吉田先生には、見解の相違があるようだ。

そしておそらく以上2点とは切り離して議論できると思われることとして、私は、特定の出来事・人物についての議論や論評を、実名の書き手が対象の固有名を明記して書くことそれ自体が非難の対象になり得るとは考えません。

実名を明かして議論を進めた場合、発議者の意図とは無関係に、それに対する(今回のような)反応が積み重なることで、誰が誰を「かばう」か、といった党派形成(吉田先生の言う「信用」は、むしろ、この場合はそれだと思う)をときには加速すると承知しています。

しかし、増田聡さんが「パクリ」論に関する最新のコメントで示唆しているのは、効果とリアクションによる党派形成(好き嫌い・ファンとアンチなど)というようなものは、議論の抑制ではなく、むしろ加速によってこそ無効化するであろう、ということではないでしょうか。

私は、学会委員としての増田聡さんを今後も引き続き信用するつもりは一切ありませんが、彼のコメントとして公開された発言は、「誰が言ったかはどうでもいい。発言の内容だけで判断」して、賛同します。

「無効化」に向けて、党派形成の旗を乱立させていただければと思います。