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補遺:悪の編集術

「やりたくてやってるんじゃないんですよ、お願いしますよ」

という風に頭をかきながら仕事をする、という昭和後期の雇われ管理職の定型がある。この場合、「やりたくてやってるんじゃないんですよ」云々は、周囲との摩擦を避けるための言葉の潤滑油であり、「やりたくないので辞めます、それが認められないのであれば転職します」の含意はなかったと考えられる。

大学の役職なんか、権限もなく責任ばかりで、みんな嫌がって押し付けあってるのに、いざ引き受けると、好きでやってるみたいに言われて軽蔑されるの、本当にたまらない。

という文言も、ひょっとすると、この言葉が発せられた文脈では、同様の処世術が反復されたに過ぎない可能性が高いのではないか。昭和に生まれると、つい、紋切り型でつぶやいてしまうのである。

ところが、増田聡氏は、この文言を、以下の文言の次に並べる。

まじに「現実とフィクションの違いがつかない」奴らが増えている。スローターダイク的シニシズムというかジジェク的というか、「フィクションを現実と錯覚して没入する」のではなく「現実をネタとして扱うので逆に現実もフィクション扱いして遊ぶ」のだな。結果としてはむしろこちらのほうが有害。

「現実とフィクションの違いがつかない」者にとっては、人間関係の潤滑油(言葉の綾)と、人間関係が織りなす契約や責任の力学の区別がつかなくても当然であり、むしろ、こういう時代には、両者を積極的に混同させていいのだ、と言わんばかりである。

こういう風に言葉を編集するのは、「悪」だと思う。