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【論説】嘘

『嘘・未来形 デジタル時代の嘘のゆくえ』を嚆矢として、同じ著者による『その嘘の〈作者〉とは誰か』『嘘つきをつくる』、あるいは大著『“嘘の国ニッポン”の系譜学』三部作(『“嘘の国ニッポン”神話とその起源』『エイプリルフールの発見と〈ニッポン〉の変貌』『そんなの絶対ウソだってば、の美学と〈ニッポン〉の分裂』)など、近年、嘘をめぐる議論がにわかに活発になっている。

『創られた「日本の嘘」神話 エイプリルフールをめぐる戦後大衆文化史』の登場は、「ウソなんて嘘っぱち、ウソなんてものは存在しない」という論調を決定づけたと言ってよいだろう。若手研究者による一連の取り組みをめぐって、今も論争が絶えない。「新しい嘘つき」(北米発祥のいわゆる「ニュー・ライヤー」)日本版の誕生を歓迎する立場もあるが、『嘘の欺瞞 エイプリルフールにおける科学の濫用』以前への後退であると憂慮する声も根強い。

『動物化する嘘 嘘つきから見た日本社会』そしてその続編『ゲーム的嘘の誕生 嘘つきから見た日本社会2』が、著者たちの共通のバックボーンであると指摘される。そして「操作できる嘘は実在する」(イアン・ハッキング)とする実用主義、「嘘は実在するか否か」という発問にロジカル・タイプの混同を指摘する形式論理学など、英米哲学は、今やこうした嘘を読み解くためには必須の教養になった。

外国人観光客による「爆嘘」、政府の「一億総ウソつき社会」構想が話題になるご時世である。人文の嘘など、所詮はコップの中の嘘に過ぎないと嗤い飛ばすのはたやすい。しかし、嘘が終わりなき日常を生きてエイプリルフールの在庫が払底しつつあるとしたら、それは何事かの兆候かもしれない。