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「京都ぎらい」

元暦期におきた出来事

  • 元暦2年(寿永4年)2月19日  屋島の戦い
  • 元暦2年3月24日  壇ノ浦の戦い。平家が滅亡
  • 元暦2年7月9日 元暦大地震は京都盆地北東部を震源に、マグチュード7.9と推定されている[1]。

脚注
[1] 水野章二「中世の災害」/ 北原糸子編著『日本災害史』吉川弘文館 2006年 148ページ

元暦 - Wikipedia

千年の都は、831年前(1185年)に地震が起きている。方丈記だ。

また、「美術品があったから空襲を免れた」という美術評論家八代幸雄(作曲家矢代秋雄の父)の俗説は、既に否定されている。

その一方で、一世を風靡したプレート・テクトニクス理論が盤石なのか、科学としては諸説があっても不思議ではない。

「起きたこと」と「解釈」を分けること。この原則は、たとえ着の身着のままになっても持ち歩くことができるはずなので、捨てないようにしたいものだ。

「AはBである」という記述(graphein)から、既に解釈は始まっている。

そしてさらに言うなら、マグニチュード7クラスの大地震であっても、この国の「全体」が一斉に揺れるわけではない。この列島はその程度には広く、「国民」をいかに統合しようと望んだとしても、被災者とそうでなかった者の区別はなくならない。そして、「被害に遭わなかったこと」に何らかの積極的な根拠を求めるのは「なかったことの証明」、いわゆる、悪魔の証明である。

(大陸に近い九州あたりではなく、奈良や京都の盆地に都を構えるほうが具合がよさそうだ、と考えた古代の人たちは、なかなかいい選択をした、と言えるかもしれないけれど、そこに virtual な「根拠」を設定するのは、たぶん「悪魔の誘惑」だと思う。)

宙づりに耐えることができなくなったとき、人の心は、限りなく「死んでいる」。たとえば、「近代」の入り口と言えそうな18世紀から19世紀への転換期の sublime をめぐる議論は、たぶんそういう理路で、信仰(普遍)と現世(偶有)の関係をコペルニクス的に「回転」させたわけですよね。そしてそれから100年くらい経った頃、「新しい体制」が出現したときに、政治の美学化とか、美学の政治化とか、というような議論があった。で、さらに半世紀して、「短い20世紀」はもう終わりであるということで、情報を操作・媒介する「新しい技術」がさかんに点検されて今日に至っている。

私たちは、「美しく死ぬ」ことのできない世界を今日も生きているのだということに、そろそろ慣れていい頃合いなのではなかろうか。おそらく「冬の旅」の結末のあとにハイネ歌曲が来て、そこで生命が尽きたシューベルトもまた、そのようなヴィジョンを提示していたと思うのだが。

(吉田寛先生も、そしておそらく私も、世界認識がどうであるかということとは別の話として、特にどうということなく「普通に死ぬ」可能性が高いだろうなあとは思うけれど。)

京都ぎらい (朝日新書)

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