「その話はあとにしてくれ」

明日までにこの書類を仕上げなければいけない、と徹夜で事務仕事をしている大学教員のパソコンに、Microsoft Officeのソフトウェアが、「1件のアップデートがあります。今すぐ更新しますか? はい/いいえ」みたいなダイアログをポンと出したとしても、たぶん、その先生は、「いいえ」をクリックするだろう。

熊本に自衛隊が出動する姿を映し出すニュース映像か報道写真を見たデザイン関係の先生が、「これは見栄えが悪いから、こういう風にしたらいいのに」と思いついて、それを進言したとしても、それはやはり、MSのアップデートの「いいえ」と同じように扱われても仕方あるまい。

たしかにそのような経験は、「世界」について、「今まで体験したことのない何か」をその先生に開示するかもしれないけれど、そこで開示される何かは、飛び込みで営業するサラリーマンが、「どんなにいい製品でも、売り込みにはタイミングというものがあるんだなあ」ということを身体で覚える、とか、そういうのに似た何かだろうと、普通は考えるんじゃないだろうか。

俗世は学者の金言に耳を貸さない、と日頃から不満を募らせている人が、一番悪いタイミングで何かを発言してしまって、「やっぱり世間というものは……」という風に不満がループしてしまう、ということになるとしたら、それは自虐だろうと思う。

(デザイン関係の先生であれば、「制服」は効率・効用だけで決まるものではない、ということを、おそらく平常時であれば、デザインの基本設定としてお考えに入れていらっしゃるに違いないはずで、やはり今は何らかの動揺(少し落ち着かれたほうがいいかもしれないような)のなかにいらっしゃるということなのかなあ、と、僭越ながら思ってしまうのですが、どうなのでしょう。)